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人文通信 Vol.18 「INCUBATOR」 MARCH, 2010

運命は変えられないけど、ましにはできる。

町医者として、臨床の現場から豊かな知見を授業に活かす三和先生。温厚な語り口から、精神医療への熱い思いが伝わってきた。

TEXT・PHOTO 池田あゆみ

喪の仕事

 私の研究テーマの中に「対象喪失」や「喪の仕事」というのがあります。
 対象喪失とは、精神分析の理論のひとつです。たとえば、思春期に理想的な両親を失うといった愛情や依存の対象となっていた人の死や別離、定年退職して社会的地位を失うといった社会的地位や住み慣れた環境などからの別れなど、心のよりどころを失う体験のことをいいます。その他にも夢いっぱいの子どもから大人になるにつれて現実と折り合いをつけていくこと、何かしらの理想に対する幻滅なども対象喪失になります。
 はじめは誰しも対象を喪失したことを悲しみ、混乱するわけですが、やがてそれを受け入れて静かに立ち直っていく…。このように心を整理し、現実を受け入れていくことを「喪の仕事」といいます。そういう対象喪失から立ち直っていくにつれ人は強くなっていく。ただ、失った事実を認めたくない人、認められない人も中にはいます。そういう人たちの「喪の仕事」のお手伝いをするのも私たち精神科医の役割です。
 ただし、対象喪失からの立ち直りに特定のパターンがあるという精神分析的な考えは構成主義という現代の考えからは批判されています。これはあくまで古典的な知識として重要で、本当はそれぞれの物語としての立ち直り方があっていいと思います。

町医者として

 医者の仕事は臨床か研究になりますが、私は患者さんを診る方が好きなので開業医になりました。町医者なので、もちろん対象喪失の患者さんだけでなく、ありとあらゆる人を診ます。摂食障害の子どもさんから、うつ、アルツハイマーのお年寄りまで、1日に70人前後の患者さんが来られます。
 現代はストレス社会で心を病んでいる人が多くなってきたと言われてます。確かにそれもありますが、今より辛いことも昔にはあったし、今と同じように昔も病んでる人がいた。ただ、昔はそういう人に目がいかなかっただけです。近頃は、精神科もメンタルクリニックと呼ばれるようになり敷居が低くなったので、たくさんの人が精神科医にかかるようになったのかもしれません。
 ところで、薬で人の精神をコントロールする、そんなことがほんとうにできるのか、と思いませんか? 私もかつてはそう思っていたのですが、実際よくなることが多いんですよね。お薬を飲んでだんだんとよくなって、最終的にお薬をやめてもいい状態になればいいわけです。ただ、やめることを考えて薬を出していない心療内科や内科の先生が少なからずいるのが現状です。嘆かわしいことですが、日本は世界的にみても依存のリスクが高い抗不安薬を多用する傾向にあります。薬に依存させずに、やめさせるところまでもっていくのがよい先生の条件だと私は思っています。

生きようとするすばらしさ

 よく、精神科医をしていて人を信じられなくなったりしないのか、と聞かれることがありますが、極限状態の人を診ていると「いくら病んでもどこかに健全な部分があるんだ」と信じられる。どんなにどん底でも、人って生きてていい、言葉にするのもはばかられるようなたいへんな人もちゃんと生きてて、それだけですごいんだと。死なないで、生きて…失望や幻滅とは真逆です。
 患者さんに引きずられて暗くなったりもしません。私たち専門家が一般の人と違うところは、患者さんと一緒に道に迷ってしまわないこと。なぜ迷わないかというと、私たちは地図、つまり理論を持っているからです。理論はコンパスともいえます。コンパスって、多少不正確でも大体の方角がわかるじゃないですか。今、患者さんがどうなっていて、どのような状況にいるのかがだいたいわかれば、そして、こうしていけばいいというのがわかっていれば、こちらもしんどくないですし。
 そういった意味でも、柔軟に多くの理論を学ぶ必要がありますね。人の心を完璧に説明できる理論はまだありませんので、不完全ながらも多くの理論で補い合う必要があるからです。

救うのではなく寄り添う

 心理療法が患者さんの人生を変えられるわけではないんです。うまくいかないことを変えられないし、埋め合わせもできない。フロイトの言葉に「運命は変えることはできないがましにはできる」っていうのがあります。つまり完治したり、劇的に良くなったりはしないけども、ましにはなる。
 喪の仕事のお手伝いでいえば、患者さんの隣にいて寄り添って話を聞いて…という感じですね。脱線しないように引き出して、一緒にまとめていって…。人は誰かがいないと悲しみを噛み締められないんです。たとえば、小さな子どもが何かにぶつかっても周りに誰もいなかったら泣きません。隣にお母さんがいて、一緒に悲しんでくれるから泣くんです。共感してくれるから泣きだせる。人はひとりでは悲しみを表現して、それを噛み締めることができない。だからセラピストが必要なんです。人を救うのではなく、寄り添うように。
 人間は対象を喪失し、それを乗り越えて成長してきます。おぎゃーと生まれて楽園である子宮から追放されて喪失する。次に、お母さんというぬくぬくとした存在にべたべたに甘える環境から喪失する。やがては大きくなって理想的な家庭に幻滅して思春期になって荒れる。でも新しい、親とは違う新しい価値観を見つけていって大人になる。で、子どもができる。そして子どもに夢を託して、叶う人もいれば幻滅して喪失していく人もいます。でも、それは悪いことだけじゃないんです。子どもは親に理想ばかり押しつけられたら、ほんとうの自分を受け入れてもらえなくなると悩む。そして親は自分が想像していた子どもに幻滅してがっかりする。けど、それは同時にほんとうの子どもの姿を受け入れていく、ということだから子どもにとってはその方がよいのではないでしょうか。
 夢や希望を追って、誰かを傷つけることもあるかもしれない。けど、夢を喪失して現実と折り合いをつけて、そこで大切なものを見つけて生きていく。それは、たくさんの人を泣かせて夢を追うより、ある意味では立派だと思います。
 自分の思いとは違う現実が突然目の前に立ちはだかる。はじめはそれに抵抗し、嘆き悲しむ。泣きやんだら涙を拭いて立ち上がり、また前を向いて歩いていく――その繰り返しが人生であり、成長とは本来そういうものだと思います。

心は多面的なものいろんな見方をしてほしい

 私は町医者であるとともに、神戸学院大学人間心理学科の教員ですが、大学では精神病理学と精神保健学などの講義を担当しています。精神病理学では、統合失調症や摂食障害などの精神障害の診断法や治療法などについて、豊富な臨床経験を活かしていろんな事例を紹介しながらわかりやすく講義しています。精神保健学では、個人や家族、社会の精神保健のあり方から、国内、世界諸地域におけるシステムや取り組みなどを解説します。
 そういった授業を行っていますが、学生の皆さんにいちばん伝えたいのは物事を先入観を持って見るのではなく、いろんな視点で見ていってほしいということです。心は多面的なもので、どの切り口で見るかによって見え方が変わってきます。そうすれば、難しい問題でも解決の糸口が見えてくると思います。
三和 千德(ミワ チトク)

三和 千德(ミワ チトク)

1967年10月生まれ
医師 臨床心理士
人文学部 人間心理学科 准教授
兵庫医科大学 1992年(卒業)
兵庫医科大学大学院 医学研究科 1997年(卒業)
医学博士 (内科系精神神経科学)1997年
神戸市で開業医を続ける。
研究テーマ
喪失体験における回復のプロセスと心理療法について
精神分析的心理療法の臨床への応用について
所属学会
日本精神神経学会 日本老年精神医学会