歴史地理学会第51回例会発表要旨(歴史地理学 第50巻4号 pp.81-82掲載)

203. 大阪府の淀川両岸における水道の普及―創設期を中心に―

                                矢嶋 巌(神戸学院大)

 日本における水道の普及は、1910年代後半からの都市化にともなって一定の進展をみたとされる。この時期は、大阪、神戸、東京、横浜、名古屋といった三大都市圏域で都市化が進展した時期である。水道は1890年制定の水道条例によって、市町村の経営が規定されていた。しかし、水道普及が遅々として進まないために、民営を可能とする法改正が1911年になされた。これを受けて、東京や大阪の周辺で民営水道設立の出願がなされ、実際、東京を中心にいくつかの民営水道が設立されたが、実質的に市町村営主義の方針は変わらなかったとされる。
 本研究は、大阪府における淀川両岸の衛星都市を事例に、近代の大都市圏郊外における水道普及過程の一事例を示すことを目的とする。淀川両岸では明治末期から昭和戦前期にかけての私鉄の開業以降におもに住宅地化が進んだ。沿線の市町村では大幅な人口増加がみられ、昭和戦前期には大阪市への通勤率が比較的高く、都市圏を形成していた。淀川の右岸と左岸では、地形・水環境が異なる。
 1895年に創設された大阪市の水道は、当初から市外への給水を想定していた。市外給水は創設翌年から行なわれたが、給水対象町村には施設整備と大阪市の2倍の水道料金が求められていた。大阪市が市域拡張を進める中で、これらの町村のほとんどが大阪市に編入されたが、町村が編入を望んだ理由の一つが水道整備の負担であったとされる。
 現在大阪市に隣接する市では、大正期から昭和戦前期にかけて人口が大幅に増加した。当時の町村では、大阪市の市域拡張の方針のもとで、比較的早期に水道の敷設が進展した。また、地域の地下水位低下による影響を受けたものもあった。なお、水道水は大阪市水道からの受水に求められた。より郊外の町村では、土地会社や鉄道会社による住宅地開発が行なわれ、公営水道が敷設されたほか、開発主体によって水道が敷設された。そうした私設水道には公営化されたものもある。鉄道から離れている淀川沿いや山間部の町村では、第二次世界大戦後に水道が敷設された。
 概して淀川左岸では、右岸より早期に都市化が進んだ。とくに現在の守口市や門真市域の町村の間で、水道問題を背景にしてさまざまな枠組みでの合併が画策され、組合形式の水道敷設計画が持ち上がるなどした。左岸の低湿な環境のもとで、水道敷設が渇望されていたと考えられる。一方、淀川右岸では清浄で豊富な地下水を得やすく、それを主な水源とした公設・私設の水道が敷設されたが、新たな住宅地への給水に比重が置かれたものであった。少なくとも、近代における大阪の郊外地域である淀川両岸の都市化において、水道整備も重要な位置を占めていた。そして、この時期の一定程度の水道普及が、第二次世界大戦後の当該地域における都市化の基盤となった。

キーワード:郊外住宅地  市町村営  水道  都市圏

(c) 矢嶋 巌/YAJIMA Iwao 2008

於宮城学院大学大和キャンパス,2008年5月17日


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